安物買いの銭失い。無料希求の時失い。

 
情報は今の時代、ネットで誰でも検索できるようになった。
だから情報の価値は無価値。買うなんて馬鹿らしい。
と、得意げにいう人がいる。
確かに情報は誰でも簡単に見つけられるようになった。
その意味において、本当に情報というものは無価値なのかもしれない。
ただ、その情報を自分の血肉になるまですり込ませることができるか?
というと話は別だ。
人は無料のものに価値を感じることができない以上、
無料で手にしたものをそこまで本気でやろうととは思えない。
これがもし、少しでもお金を使って手にしたものなら、
「元を取ろう」という感覚がかすかに働く。
この元を取ろうという動機がそのまま行動の動機へと変わるので、
何かしらの結果を得ることにつながる。

情報をわざわざ買う意味

情報なんてタダで手に入るのにわざわざ買う意味ってなんだろう。
1つは上で話したような「行動する動機作り」をするため。
要は自分との約ということだった。
なんの努力もしないでタダでもらったライブチケットよりも
公開と同時にサイトにアクセスしてやっとの思いで買ったライブチケットの方が
その人にとって価値は高いはず。
ではもう1の意味があるとすれば、それはなんだろうか?
答えは時間の短縮。
たとえば「◯◯する方法」とネットで何回も検索して
そのキーワードから派生する情報も含めて自分でまとめるよりも、
「◯◯する方法」の本やDVDを買ってしまった方が早い。
調べる時間は当然減る(というか無くなる)し、プロの解説をすぐに受けられる。
自分の時間を増やす。これって結構価値のあることなんだけどみんなは理解してるのかな。
私たちの時間は24時間。そのうち睡眠が6〜7時間、
食事等々生活(バイオリズム)に必要な時間がトータルで2時間、
無目的に過ごすアイドリングの時間を3時間とすると、
特定の目的を持って活動できる時間は13時間くらいしかない。
で、一般的に労働時間が8〜10時間とすると、
本質的に自分の自由意思で使えるのって3時間くらいなんだよね。
この3時間を無駄に使うなら、お金で買った方が早い、それに価値がある、
と思える人が情報を買って時間を生み出した方がいい。

時間は一定期間の経過をカウントするための基準ではない

時間とはそのまま、私たちの命を指している。
幸いなことに、私たちはなんの努力をしなくても死ぬことができる。
特別な経歴や資格がなくても、最高級タワーマンションに住むお金持ちでも
日本橋で寝ているホームレスでも、最後はみんな死に行き着く。
時間は毎秒、死に向かって進んでいることを忘れると、あっという間にすぎる。
だからといって毎日を有意義に過ごせとはいわない。無理。
私はこの記事を、滞在から15日目を迎えるシンガポールで書いているけど、
この15日間、観光に使ったのはまだ正味2日ほど。
それ以外は特に予定がなければダラダラ過ごしている。
でもこれは、100%私の自由意思で選んだ自分の時間なんだよね。
誰かと労働の約束(契約)をしているわけではないから当然なんだけど。
大前提として自分の時間を誰からの制限も受けず100%自由に使えることが、
人生を初めて消化したことになると思う。
ここで義務的な時間の使用が継続的に生まれていくなら、やっぱりそれは不自由だ。

タダを求めることは時間を失うこと

安物買いの銭失いとは、安いものばかり買っていると
最終的にお金を失ってしまうという意味。
ではそんな「安いもの」すら買わず、ひたすら無料を追求し続けるとどうなるか?
今度は時間を失うことになる。
そして時間を失うということは、それは命を失うということだ。
 

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