【無駄に年を取らないためのレッスン】何年生きたか、というのは無意味

私たち人間はいろんな数字に支配されて生きています。
子供のころははテストの点数、学年順位、部活の成績。
大人になれば給料、ボーナス、年収、月々の支払いなど、まぁ総じて「カネ」の問題になっていくわけですが。
その他の数字としては「年齢」というのも結構な影響を与えているのではないでしょうか?
世間では年齢に逆らいたい人であふれかえっています。何とかして手続き上の年齢よりも若く見せようと努力するする人が多いです。
無駄に老けて見られるよりはマシなのでこの努力は別に無駄だとは思いません。
さて、数字は他者と比べるときに使われます。
自分より高いか低いか、上か下か、大きいか小さいか、広いか狭いか、これらはすべて数字で決定することができます。
で、この数字によって人は感情を支配されます。
自分より若くて美人な人が経済的に成功していたら嫉妬します。
自分より若くして成功した高学歴の成功者がいたら嫉妬します。
基本人間は、自分より年齢が下の人間に嫉妬します。
でもあまりに次元が違い過ぎる人にはその感情すら起きません。
そういう性質なんだと思います。
さて、今回はこの年齢といわゆる成功が「どれくらい関係あるのか?」ということを考えていきます。
また、正直年齢よりももっと重要視しなければならないことも見ていきます。

【成功に年齢は関係あるか?】


んでもそうですが、何かを始めるときに年齢を気にする人がいます。
「この年齢から始めても大丈夫でしょうか?」「今からでは遅いのではないでしょうか?」というように。
ここで優等生の回答としては「何かを始めるのに遅すぎることはありません!人生で若いのはいつだって今です!!今すぐ始めましょうお申込みはこちらです!!!」となります。
私もこの考えにはどちらかというと賛成ですが、目標達成においてもはや年齢どうこうは問題ではないと思います。
単純に、「その物事を達成する気があるのかないのか?」だけが本人にとっての本当の問題であって、年齢をやたら気にするのって要はその物事が上手くいかなかった時の保険(「ダメだったのは年齢のせいだ!」ってやつ)でしかないんですよね。
そういう心理的防衛策ってことです。
なので成功に年齢は関係ありません。
「やるのかやんないのか、どっちですか?」これがテーマです。

【年齢?誰が決めたの?】


分は60秒。1時間は60分。1日は24時間。1年は365日。
生まれてから365日を経ると、そのたびに人間の世界では手続き上「年齢」が加算されます。
これによって受けられる制度が解放されたり、または制限されたりします。
で、この年齢なんですが、そもそも誰が決めたのかって話なんですよね。
もっというと「時間って誰が決めたの?」って問題でもあります。
もちろん、時間の概念を設定したのは人間です。その方がいろいろ管理しやすいからです。
年齢という世界では手続き上、放っておけば1年ごとに現在のものに「+1」されます。
それだけです。この「+1」によって何か本人の肉体的、精神的な能力向上まで約束されているわけではありません。
(そんなことしたら世の中は超人だらけです)
どちらかというと肉体的な衰えがあるくらいでしょう。
特にその1年間何もしていないのであれば、精神的な向上はまず無いと思います。
現に、見るからに「オトナ」なのに電車待ちの順番を守れないオジサンなんてたくさんいますからね。
彼らは幼稚園児以下です。

【年齢は人工的な現象でしかない】


間が決めた1年ごとの「年齢+1制度」は単なる人工的な現象でしかありません。
1年という「人工的な幅」の産物なんですよ。所詮。
時間なんて無くても放っておけば老化します。
それよりもその期間でどれだけ成長できたか、ということにフォーカスした方が良いです。
でないと、本当にただ単に年を取っただけの人になってしまいます。
その1年で自分はどれだけレベルアップしたのか、その成長度合いに意識を向けてください。
成長できていなければ焦ってください。
この考えに変えることができれば、本当に祝うべきは誕生日ではなく自分のレベルが上がった瞬間だとわかります。
同時に、年齢は手続き上の単なる数字だということで特に気にしなくなるのです。

【表面的な数字に支配されてはいけない】


齢が上がっただけでは何もできることはありませんが、レベルが上がればできることがどんどん解放されます。
考えられる物事の質が上がり、それが結局出会う人や得る収入に繋がっていくんですよね。
「表面的な数字」と言えば年齢と共にお金もその最たるものだと思います。
私たちが価値があると思っているそのお金、源流をたどればただの「麦」ですからね。
古代の人々はモノとサービスを等価で結ぶための媒介物として「麦」を導入したのです。
これがお金の始まりです。
そこから貝になり、やがて銀やら金やらきらびやかなものに変わっていったわけですが、そもそものおこりは麦だったのです。
古代の基準に合わせれば、現代人は大量の麦を得るために日々頑張っているということになりますね。
大量の麦を持っているほど異性からモテて、欲しいものも買えると。
どうです?変な感じですよね。
今はどれだけ大量の麦を持っていても何も買えません。
麦は価値(富)の尺度から外れたからです。「じゃあ現金なら大丈夫!」と思いますよね?
残念。現金もどんどん電子化されていくのでドルも円も元も単なるデータでしかなくなります。
そのうち「現金」という概念も消えていくでしょう。
そうなった時、「価値の在りか」も移動します。
21世紀から富の源泉は「信用」に移っていきます。
例えばクラウドファンディングは信用を通貨に変える装置です。
こういったこと見ると本当に重要視するべきものは何のか、年齢やお金で本当に良いのか、また考えが変わってきますよね。
そんなお話でした。
■追伸
その握りしめている原価20円くらいの1万円は、もとは麦。
■筆者プロフィール



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